コノさん細腕繁盛記

えぶりでぃみんなはっぴー💗

久しぶりに救急車で…

どおりで身体がだるくて、重くて

身体のあちらこちらが痛いなぁと思ったら、

台風がきてるんですね💦

低気圧は体をむしばむ😢

でも昔よりはずいぶんと

疼痛も楽になったもんだなぁ🤗

死ぬ気でがんばったリハビリと時は

必ず幸せをもたらすことを

わたしは知っている。

だからある程度のことでは

めげなくなったなぁ😙

 

なんて思っていた矢先、

夜身体の具合が急変して

めまいやはきけ、動悸などなど

とにかく苦しくて💦

わたしには家族はいないから、

やむを得ず救急要請をし、

病院に運んでもらいました。

何とも情けない💧

特別ひどい状態ではなかったため、

しばらく点滴をしていただきました。

点滴をしている間に見ていた

病院の白い天井を見てると

なぜだか悲しくなり、涙がこみあげる。

1年近く入院をしたことがあったので、

天井を見てると

心にぽっかりと穴があく感じ。

特にこの総合病院は

昨年9月30日にやはり

わたしが発作を起こして、

やはり救急搬送されて、

当時まだ父は生きていて

付き添いできてくれたけど。

この病院で、

先月10月に父が亡くなり、

父の再婚した相手が咽頭癌で亡くなった。

当時Wワークで仕事をしていたわたしは

日勤が終わってから、病院に見舞いに来、

それから夜勤に向かっていた。

しかしもう延命措置をしても

仕方ないという結論に至り、

夜通しそばについていたが、

朝6時に母は亡くなった。

本当の母ではなかったけど、

当時苦しかった単身生活の時に

カツカレーを食べに来いと呼んでくれて、

おなかいっぱい食べなって、いっぱい用意してくれていたり。

ご自分の本当の娘さんが3人もいるのに、

自分がもう車は運転できないから、

あなたが使いなさいと譲ってくれたり。

血のつながった母より、ずっとわたしの母だった。

そうして、大事なものを失い、

初めてのうつ病に陥ったのです。

大切なものを失った時って

本当に、心にぽっかりと穴が開くんですね(笑)

あまりのショックに

何も手もつかなくなり、

せっかく派遣で3年も働いた

職場を去ることになりました。

とても仕事も楽しかったし、

人間関係もいいところだったので

余計にショックだったなぁ😢

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カアシャンウツビョウニナルホドデリケートデシュカ?(笑)

その母の葬儀の時、棺桶が焼き場に入るとき

「おかん!」って大号泣して

お棺にしがみついてしまって。

それくらい、血がつながっていなくっても

大好きなお母さん。

カラオケもたばこもお酒も大好きで(笑)

不摂生のせいだろうって言われるかもしれないですが、

大好きなことを

いつも楽しんでたお母さん、

その楽しみを、咽頭癌というものに奪われ

どれだけイライラしたことでしょう。

自由を奪われるって、本当に悔しいこと。

ショートヘアで、笑顔が素敵なお母さん、

わたしもそうやって美しく歳をとっていきたい!

 

そんな前向きなことを言えるのは

ここまでの壮大な時間があったから。

うつ病が悪化しつつ、

無収入のわけにもいかず、

様々な仕事に就いてみたけど…

心の傷は大きすぎた。

お母さんが亡くなった翌年、

父のところにすでに引っ越しをしていたが、

そこで自害した。

世の中が嫌で、悲しみに耐えられなかった。

これでもう終わりだ…って。

 

いやいや、神様はそう簡単には

死なせてくれない(笑)

今の考え方だと、

わたしはまだ世の中にやり残していることがあると。

今はそう思える。

 

自害して…2日後かしら?

目覚めて、

右半身の動かないことに気づく。

あれ?あたし死んだはずじゃ?

死にきれなかった、というのが正直な話(笑)

生きてる、ってわかったとき

119番通報をした。

一緒に住んでいた父が気づかないのもすごい話だけど💦

救急隊員の方が

オートロックの父のマンションに来て、

父は初めてそこで起きたことを知った。

ものすごい怒って、

わたしの遺書を、

救急隊員の方が家に入る前に破り捨てた。

父親には幼いころから信用はなかったが、

やっぱりなぁ…って💦

 

救急の方が病院に電話するも

なかなか受け入れ先がない。

そんなことでやっと6件目…

大きな病院のICUに運び込まれた。

 

自由に動けない毎日は

本当にもどかしい日々だった。

でも足だけは自由が利いたので

それだけが救いだったなぁ。

そんな中、病院を転院して

リハビリが充実できる病院に行った。

おかげさまで、ここまで

見た目だけじゃわからないね、

と言われるくらいになった。

その苦労は厳しく、苦しかった、辛かった。

でもこうして動けることが

本当にありがたいと思います。

自分の意志だけでなく、

身体が動くよう、

リハビリに携わってくださった先生たちがいてくれたから。

 

わたしはもうこれから

命を無駄にするようなことはしません。

生きるための力をくださった方がいるから。

 

以上、平成17年6月の話ですが(笑)

それ以前にも苦しくて、耐えられなくて、

前年に虹の大橋から飛び降りようとしたら

誰もいないはずなのに

後ろからものすごく強い力で引っ張られて。

きっとお母さんが「負けるな!」って

止めてくれたのかもしれない…かな?

 

まだまだわたしはこんなところで

踏みとどまっていてはいけない。

きっと世の中でやるべきことがあるから

生かされいるんだ!

と、自分に喝を入れて👍

まだまだ幸せになれる可能性を求めて

日々がんばるぞ~💗